
障がいを乗り越え夢を追いかけ続ける方たちを紹介します!
わかさ生活 ヘルスキーパー 井内 菜津美(いのうち なつみ)
1989年、京都生まれ。
生まれつき、目に障がいをもっていながら、
「まずはやってみる精神」で、子どもの頃からピアノ、水泳、囲碁などいろいろな事に挑戦。
中学・高校と陸上部に所属。高校卒業までの6年間、『視覚障がい者京都マラソン大会』に出場し、3kmの部では5連覇。
・2007年3月『第24回視覚障がい者京都マラソン大会』(3km)で大会記録を更新。
・2007年8月第3回IBSA世界選手権大会1500Mで銀メダルを獲得。
・2008年3月『第25回視覚障がい者京都マラソン大会』(1km)で大会記録を更新。
・2015年、わかさ生活に入社し、ヘルスキーパーとして就業員の健康サポートを行っている。
現在は、就業後や休日にも練習に励み、夢に向かい日々奮闘している。
プロフィール


井内菜津美(左)と
伴走者の寺山さん(右)
-7年間のブランクがあるにも関わらず、完走されるだけでもすごいですよね。
フルマラソンを走るようになって自分自身が変化したことはありますか?
自分の運命が変わったポイントとして2つあります。
ひとつは、和田さんの言葉がきっかけで、フルマラソンを走るようになったこと。
もうひとつは、伴走者のてらやん(寺山典孝さん)からのある提案でした。
初出場した『木津川マラソン大会』の次に、
同じ年の11月に開催される大会に向けて練習をしていました。
『木津川マラソン大会』でのタイムは4時間17分22秒だったので、4時間を切ることを目標にしました。
しかし、5日前に、伴走者のてらやんから、「強化選手に入るタイムに挑戦しよう!」と突然言われたんです。
2020年東京パラリンピック出場メンバーになるための第一関門として、
強化メンバーになるための決められたタイムがあるんですが、
そのタイムが3時間30分から3時間45分に変わったことで、「可能なタイムだから、3時間45分切りを目指そう!」とてらやんから言われました。
初めは戸惑いはしたものの、本番当日まで精一杯お互い練習をし、立てた目標を達成するために頑張りました。
本番当日、3時間42分7秒を記録し、フルマラソンの強化メンバー入りすることができました!
そこで気がついたことが
「今まで私は傷つかないように目標を立ててたんやな。」ということでした。
いろいろな挑戦をやってきたつもりでしたが、立てる目標はいつも、手が届くものばかりを目標と言っていたなと気づいたんです。
この大会以降、
「思い切った目標を立てていく」と決意しました。
ただ大きい目標を【心の中で決める】だけでなく【声に出して言う】ことを大切にしています。
声に出して周囲に伝えることで、自分にプレッシャーをかけることができて、「やらないといけない」という気持ちになるんです。
これが、私の中の変化ですね。
-お仕事と通じるものはありますか
わかさ生活では、ヘルスキーパーとしてお仕事をしています。
マッサージをする仕事は人を癒してあげること。そのために、自分はいつでも明るく
元気でいないといけない。と心がけて、お仕事をしています。
そういう点は、
マラソンを続ける際も一緒で、第一に健康でいることは大切にしています!
そして、もうひとつ、相手を想った行動ですね。
マッサージをする際は、その方のことを想いながら行います。
マラソンでも、常に相手となる伴走者がいて成り立っています。伴走者を想い、走っています。
伴走者がいることで相手となる人の時間をもらっている。
そのことにより一本一本のレースに集中し、大切に走ることができるんです。

マッサージで多くの従業員が癒されています。

週に1度、わかさ生活従業員に向け、ツボ講座をおこなっています。
社内での様子
2020年東京パラリンピックに向け、強化合宿に参加しているなど、休日や就業後を使い練習に励んでいます。

-最後に井内さんの今後の目標を教えてください
フルマラソン選手として、2020年東京パラリンピックに出場し、金メダルを獲ること!
そのために、まずは2019年の選考会までに1500M、5000Mに磨きをかけて、タイムを縮めていくように頑張っています!
マラソンは働くこと、ひいては生きることの活力です。
マラソンがあるから今日も頑張れるんです!
マラソンというものが 目的意識の中心にあって、
理由付けになっているもの。
今は仕事とマラソンが良いバランスを保っています。
今後も、お仕事はもちろん、マラソンでの夢を実現できるように頑張ります!
マラソンを通じて出逢った人、マラソンを再開するようになったきっかけ、わかさ生活への入社・・・
すべて“縁”がつながって今の井内さんがあるんですね。
夢実現!2020年東京パラリンピック金メダル獲得に向け、これからも頑張ってください!(2017年5月)
オフィシャルホームページ
わかさ生活との出逢い
わかさ生活との出逢い
中学・高校の6年間、陸上部に所属し、様々な競技大会やマラソン大会に出場。
優勝も経験し、想い入れのある『視覚障がい者京都マラソン大会』が、スポンサー不在により存続が危ぶまれましたが、わかさ生活が協賛企業として参加し、大会は存続することになりました。それがわかさ生活と井内さんのはじめての出逢いでした。
その後、大学進学と共に東京へ移り、学生から社会人の約7年間を東京で一人暮らしをしていましたが、
また故郷の京都で過ごしたいという想いから
京都で働ける会社を探していたときに、わかさ生活が募集をしているのを見つけ、「あのマラソン大会の協賛をしていた会社だ!」と縁を感じ入社を決意。
ヘルスキーパーとして従業員に癒しを与え続けています。
インタビュー
『2020年東京パラリンピックに向けて・・・』
-陸上はずっと続けられてきたのですか?
いえ、東京に住んでいた7年間、陸上はまったくやっていませんでした。
わかさ生活に入社して、また始めることになったんです。
それは、わかさ生活の視覚障がい者スポーツ支援という社会貢献活動を通してご縁があった、賀茂川パートナーズ(クラブチーム)との出逢いでした。
クラブチームへ入り、練習会に参加するようになって、やっぱり走ることが好きだなと気づいたんです。
「フルマラソン」へ挑戦するようになったのは、賀茂川パートナーズに入ってからでした。
はじめは、趣味として楽しく走ることができたらそれでいいという思いで参加していました。
ですが、ある日、
同じ賀茂川パートナーズに所属している2012年ロンドンパラリンピック5000M銅メダリスト和田伸也選手にあることを言われました。
「何か目標はないの?何も目標を持たず、このままやっていていいの?」
その言葉を聞いて、
「はい、趣味のままでやっていたいんです。」と即答してしまいました。
高い目標を持ちながら取り組むのって、練習がきつくなるし、練習をやらなくちゃいけないと考えるだけで、結構辛いじゃないですか。そうじゃなく、気楽に趣味として走っていたいと当時は思っていたので、
初めは拒否していたんです。
でも、和田さんは、そこで声をかけるのをやめることなく、私にある提案をしました。
「じゃあフルマラソンはどう?初めて挑戦するものだったら【自己ベスト】が出るよね。」
その言葉を聞いて、
「そっか!初めて挑戦するものだから、絶対自己ベストが出せるな!」
と単純な私は、あっさり納得してしまい、挑戦することになったんです(笑)。
2016年2月に行われた『木津川マラソン大会』が初めてのフルマラソン出場で、まずはしっかり完走することを目標にしました。そして、完走することができました。